実は奥深かった!端午の節句と稲作の関係
5月5日は、端午の節句ですね。
男児の健やかな成長を願うこの日には
こいのぼりや兜を飾り、家族みんなでお祝いをするのが古くからの慣習です。
端午の節句は
今から2300年以上も前の中国から伝来し
日本で作り替えられた行事といわれています。
端午の節句は
実は稲作と深い結びつきがあったことをご存知でしょうか。
稲作の儀式が起源だった端午の節句
日本において5月は、田植えのシーズンです。
古来より日本は
5月5日に田の神を迎えて豊穣を祈る儀式が行われていました。
村に住む未婚の娘たちが巫女となり
ショウブの葉やヨモギで葺いた“女の家”という小屋にこもって
身を清める“五月忌(い)み”という儀式を行っていたのです。
この儀式が、中国から伝わった端午と結び付けられたとされています。
端午は元々、女性の節句だったんですね。
その後、鎌倉時代に武家が台頭してくると
ショウブは「尚武(しょうぶ)(武を尊ぶ(たっとぶ))」に通じることから
この日に流鏑馬や石合戦、菖蒲打など
男子中心の勇ましい行事が行われるようになりました。
そして、武具を飾ったり鯉のぼりを立てたりして
男児の逞しい成長と立身出世を願いました。
端午の節句に食べる縁起の良い食べ物とは?
現代では、端午の節句には菖蒲湯に入り
関東では主に柏餅を、関西では主にちまきを食べる風習があります。
柏餅を食べる風習は、江戸時代に日本で生まれました。
柏は、冬になっても葉を付け、新芽が吹く春に落葉するという特徴があります。
後継ぎができるまで葉を落とさないという様子から子孫繁栄などに結び付き
縁起の良いめでたい木とされました。
その後、神事や祭事には欠かせない餅を
縁起の良い柏の葉で包んだ柏餅を端午の節句に食べることで
男の子が元気に育つことを願い食べる風習が生まれたとされています。
ちまきは、古くから中国に伝えられているある詩人に由来します。
その詩人は忠誠心が高く民衆から支持も得ていて、政治にも携わっていました。
しかし、彼は、彼を妬む者たちによって国を追われ、川へ身投げしてしまいます。
このことを嘆いた民衆たちは、彼が魚に食べられないように、川にちまきを投げ入れました。
ここから中国においてちまきは、“高い忠誠心”を表す食べ物となりました。
忠義のある子に育つことを願い
彼が入水した5月5日に、ちまきを食べる風習が生まれたといわれています。
日本においてちまきを食べる風習は
当時の都があった関西・近畿を中心に、西日本へ広がりました。
稲のように力強く育つ想いを込めて…
端午の節句と稲作には
実は深い歴史や言い伝えが関係していたんですね。
5月から始まる田植え。
今のような農耕機がない時代、苗は一本一本手で植えていました。
その頃まで、田植えは女性の仕事でした。
田植えをする女性は早乙女(さおとめ)と呼ばれ
男性が苗を運んで田んぼに印をつけた後
早乙女たちが苗籠を腰につけて田植えをします。
昭和40年代から田植え機が普及したことにより
手植え作業は少なくなって、早乙女たちの姿も見られなくなってゆきました。
しかし、手植えされた苗は
田植え機で行ったものよりも分げつが多く
成長のスピードも速い傾向にあるといわれています。
農薬や肥料がない時代でもこうして稲は成長し
風雨にも負けない力強い生命力を湛え、人々の食を支えていたのです。
このような稲の成長力になぞらえて
時代の荒波を乗り越える逞しさを身に付けてほしい。
現代の端午の節句には
このような想いも生まれていることでしょう。